「ちょ〜、たつお〜」
「ん〜?何や」
「わたしなぁ、あいつのこと好きなんや」
「・・・うん・・・?」
「たまらんせつないねん、わかるか〜」
「・・・・・・ん〜???」
ウィスキーのグラスを傾け、酔っぱらった目で私に絡むのは、高校二年生のヤンキー女子あけみちゃんであった。
場所は、長野県のある民宿の一室、時は、修学旅行(私の高校では研修旅行といったが)1泊目の夜である(1981年秋の話)。たまたま各部屋で酒がなかなったので、飲酒機会を求めて徘徊しているときに、こたつで一人くだを巻く彼女にとっ捕まった次第。
さて、当時、私は純朴高校二年生だったので、彼女の大人びた言動に、めまいを覚えた。年齢はチーママ、体型はママのようだったし。若干17歳で人生のいったいどんな深淵を見てきたあけみちゃん、という感じですね。さっぱりわかりませんし、知りたくもないんですけどね。
※ちなみにこの合宿は伝説の合宿であった。どの世代のどの人の修学旅行も、これほどひどくはなかった、と断言できる。映画化の噂すらあるほどだ。
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つかみはさておき、今回は、ヤンキーの話ね。
現代ヤンキー論は、故・ナンシー関から始まる。芸能人の「お店体質」をはじめ、まぁ、彼女の批評言語の豊富で鋭いこと。同世代の誇るべき才能が失われたのはつくづく痛手であった。実は私は、「日本人ヤンキー原人説」というタイトルの本をいつか書こうかと思っていたので、この命題を目にして、ナンシー関の才能にははるかに及ばないことを痛感し挫折した次第である。だからこんな小文を書いてみようかと思った。

さて、日本人の嗜好性は、ヤンキーとファンシーに帰着する、というナンシーの命題は、恐るべき説明力を持つ。要は、日本では、全世代からヤンキーとファンシーの趣味が好まれるということだ。芸能人からインテリアまで、この線からはずれるものを見つけることの方が難しいとすらいえる。これは今では「バッドテイスト=ヤンキー論」とも言われる。

ヤンキーの語源については、「はてなダイアリー」に簡単な説明がある。以下、引用。
「1970年代から80年代にかけ、大阪は難波のアメリカ村に集っていた少年たちを「ヤンキー」と呼ぶようになったという説が有力。彼らはアメリカ村で購入した派手なアロハシャツや、ボンタンやドカンと呼ばれる太いズボンを身にまとって繁華街を徘徊していた。彼らの多くが髪の脱色を行っていたこともあり、それらの風貌と語尾に「〜やんけ」と付ける言葉遣いからヤンキーと呼ばれるようになったようだ。この言葉遣いが語源とする説は、後の「おたく」に通ずるものがあり非常に興味深い。他の説としては、矢沢永吉スタイルの頭をリーゼントにしたツッパリたちが、60年代アメリカンロックンロール風を気取っていたので「ヤンキー」という説。「やんちゃやな」という関西弁の影響や、爆音をたてるバイクを乗り回していた「カミナリ族」たちが茶髪だったため洋鬼(ヤンキー)と呼んだという珍説も存在する。「日本国語大辞典」は茶髪の風習から、とアッサリしています。とりあえず80年代半ば以前の関西が発祥というのはどの説でも共通しているようです」。
さて、さらに詳細に立ち入ると、ヤンキーにも、武闘系ヤンキーとファッション系ヤンキーがいる。
武闘系は、簡単に言うとやくざの予備軍的な人で、暴走族ヘッドの類です。暴走族にも「硬派」というような武闘派がいたが、これはひたすらけんかをすることを目的にした集団でした。押忍。これはいまだになくなっているわけではない。
ファッション系ヤンキーは、流行のファッションの一部として取り入れていた人で、多数派。これは層としては死滅したが、ストリート系、チョイワル系とかの形で、Men's Eggとか読む、同一テイストの現代の若者層に吸収存続。この点を気づいていない若者が多いので、おっさんとしては困る。わかりにくい人は、××学部の昼休みにたくさん芝のキャンパスに寝べっているので、是非参与観察しに行くと良い。日本は依然ヤンキーの天国だということが毎日実感できる。
旧ヤンキー層は、いまやおっさん・おばはんになって、家庭的文化のなかにヤンキー・ファンシー文化を完全にかつ猛烈に定着させている。クルマにレースのカバーをつける、キルティングのピーター・ラビット柄ティッシュカバーを好む、クルマにたくさんのぬいぐるみをつむ、漢字の当て字ステッカーを好むetc.
以下、各論。
ファッション
1.女もののサンダル・つっかけ・ストッキングをはく、エナメルは決めるときはく。靴は踏んで履くのが当たり前。
2.「なめ猫」「キティ」などのファンシーグッズを愛でる。
3.ジャージ(少なくとも1980年代初頭京都ではオニツカのパウシリーズ2ミリラインが流行。色は黒地・赤、白地・赤などが代表。白地・赤などはうちの番長が着ていて、服見るだけでこわくて泣きそうになった)、特効服・作業服(暴走族の定番。ダサかっちょ路線)、それらの応用編として「ニッカボッカー」(鳶・大工の人がはくズボンね)、おっさんが着る柄シャツ(ダサカッチョ路線で完全復活)、黒・紫のタートル、ストライプの入ったスラックス(ジーパンなどはさわやかで、沽券に関わるからはかない)。黒の薄いカーディガン。
女の子は、茶髪・聖子ちゃんカット、黒のタイトスカート、ジャージを定番とする。みなさんにはわかりにくいかもしれないが、倉木麻衣は完全無欠のヤンキー顔である。番長クラスは、あれくらいの彼女がざらにいるものでした。私の通学バスにも1名乗っていたが、しびれた。
ずぼら感・・・というのがヤンキーファッションの要諦で、外出着にスウェット着る(はく)のも、まぁ、御法度でしょうね。きつい茶髪も、そういう意味では、やはりファッション系ヤンキーなんですよ。自覚はないでしょうが。はっきりとその系列の人です。歴史的文脈が変わって、いつも間にか「あり」だとされているようだが、それは違う。バッドテイストの文脈は継続しています。ズボンずらせて半ケツ出す(見せパン)のも、実は、日本的には、ファッション・ヤンキー(男子)発祥ですし。
4.パンチパーマ、アイパーなどが定番(アフロはパンチがのびている人がそうなったケースが多く笑われた。巻が緩い下手なパーマ屋で当てるとすぐそうなる)。そり込みは普通。眉毛はないくらい細いのが優れているということになっていた。
なお元ヤンキーのサーファーのことを「ヤンファー」といったが、彼らの髪型は、後ろ髪が異常に長くすかしてあった。別名「ウルフカット」。
この髪型をしている子供を今でもたまにみかけるが、その親はまちがいなくヤンキーである。Egg系の間で流行っていたとしたら、ヤンキー不滅説は証明される。どうなのかなぁ。ウルフのような段カットではないが、全体をすいた長髪の茶髪をどうみるか、だな。
5.現代のストリート系で、太いジーパンをはいている人は、黒人文化から輸入したと錯覚しているであろうが、それは違う。日本では完全にヤンキー後継者の系列になります。文脈の相違を無視するといけない好例。ボンタンやニッカボッカー、ドカン、ストン(全部太いズボンの名称)と狙いは一緒。

ヤンキーがストリートカルチャーであることを忘れていると、うっかりこうした落とし穴にはまる。
(オリジナル2005-11-24)